バレンティーノ・ロッシの経歴、特徴、エピソード

※2017年12月9日現在

氏名 バレンティノーロッシ(Valentino Rossi)
所属チーム モビスター・ヤマハ MotoGP
生年月日 1979年2月16日(38歳)
出身地 イタリア、ウルビーノ
主な実績 Moto-GP・GP500年間チャンピオン7回、WGP250ccクラス年間チャンピオン1回、WGP125ccクラス年間チャンピオン1回

バレンティーノ・ロッシは現役GPライダーでありながら、すでに史上最速ライダーとの呼び声も高く、生ける伝説とも呼ばれています。2009年以来年間チャンピオンの獲得はありませんが、現役ライダーの中でもトップクラスのスター性を持っていて、熱狂的ファンも非常に多いです。

2001年〜2005年にわたってホンダ・ヤマハから5年連続年間チャンピオンに輝き、2008年、2009年もフィアットヤマハチームで年間チャンピオンを獲得しています。
現在、38歳で全盛期は過ぎていて、引退時期を囁かれることもありますが、本人は現役続行に強い意欲を見せています。
歴代GPライダーと比べても輝かしい実績はもちろん、愛くるしくてユーモアのあるキャラクターも人気の要因です。

ちなみにロッシは、レーシングスーツの腰の部分に大きく書かれている「THE・DOCTOR(ザ・ドクター)」の相性でお馴染みですが、ロッシ本人はニックネームの由来を公表していません。憶測で複数の説はあるものの、本当の由来は不明で意図を知っているのはロッシ本人のみです。

幼少期のエピソード

かつてスズキのGPライダーとして活躍した、グラツィアーノ・ロッシを父親に持ち、幼いときからカートを始めています。ロッシの付けている「ゼッケン番号46」は父がはじめてグランプリレースで優勝した時につけていたゼッケン番号で、現在も父とは強い絆を持っています。

はじめから父はポケバイをやらせたかったようですが、母が身の安全を考慮して辿りついた選択がカートだったようです。すぐに才能を開花させてカートのレースでは優勝を重ね、5歳にして100ccのナショナルカートを与えられました。10歳からはポケバイをはじめ、一時期はポケバイとカートを併用して、どちらも地域のレースで優勝を重ねていきました。

その後、カートで上のクラスにステップアップしてF-1を目指し、イタリア100ccシリーズとヨーロッパシリーズに進むことも検討されましたが、高額な費用がネックになりポケバイの道に進むことになりました。

1993年(当時14歳)に、125ccのカジバ・ミトに乗ってイタリア・スポーツプロダクション選手権に出場しましたが、ピットレースを出た直後の第1コーナーでクラッシュするアクシデントもあり、初めての125ccレースは9位の成績で終わっています。しかし、最終戦にはポールポジションの獲得、決勝レースでの表彰台を獲得し、翌年にはファクトリーチームで年間チャンピオンを獲得したことによって、GPライダーへの道が切り開けていきます。

1994年にはアプリリアRS125Rの改良のためにロッシを起用し、イタリア選手権に参戦。1995年にはイタリア選手権とヨーロッパ選手権に参戦し、イタリア選手権優勝、ヨーロッパ選手権3位の好成績をおさめます。そして1995年にイタリア選手権チャンピオンの肩書きを持ってWGP125ccクラスに参戦します。

F-1参戦も噂された

ロッシは元々カートから始めたキャリアがあり、本格的なレース実績はありませんが4輪車を操るノウハウも持っています。

2004年には当時F-1で圧倒的な強さを誇っていたフェラーリから、テストドライバーとしてF-1マシンに乗る機会を与えられます。実際には4輪レースの経験がほとんどないロッシが、世界トップのF-1チームのマシンを乗って、なおかつトップライダーのシューマッハやマッサと一緒に走るのは異例のことです。普段から4輪でサーキットを走ることすらしていなかったので、ヘルメットはシューマッハの予備を使っていたほどです。

テストでは、トップライダーのシューマッハは最新マシン、テストドライバー扱いのロッシは型落ちマシンを乗りました。最初はF-1マシンに不慣れで苦戦していたようですが、テスト後半には要領をつかみ、最新マシンのシューマッハのタイムに0.7秒差のところまで詰めて、世界に衝撃を与えるニュースになりました。

その後もフェラーリから2010年まで毎年F-1マシンのテストにロッシを招待することになり、MOTO-GP引退後はF-1参戦という噂が広がりました。本人もF-1参戦に意欲を見せ、タイム的にも現実的に思われていましたが、最終的にはF-1への道を断念する決断を取りました。

2009年のF-1でマッサがハンガリーGPで負傷し、代役のルカ・バドエルがその後の2レースで苦戦していた時にロッシへオファーがあり、そこで断ったことがF-1断念の決め手になったとされています。当時ロッシはモンツァでフェラーリと話をしたけど、テストなしで公式練習から3日間のみでF-1マシンに乗ってレースに出るのは、楽しいではなく危険だと分かりきっていることと答えています。

もし、テスト時間をたっぷり取れる機会を作れて、タイミング的な問題をクリアしていれば、F-1ライダーのバレンティーノ・ロッシは本当に誕生していたでしょう。

日本人との深い関係

ロッシはWGPの125cc、250cc、500ccの3つのクラスで、参戦2年目に年間チャンピオンを獲得しています。センスが高く天才肌であることは確かですが、ロッシがWGP125ccに参戦した時の走りは、ラインもバラバラでクラッシュの多い荒削りなライダーでした。

実際にWGP125ccクラスに参戦したときは、イタリアグランプリチャンピオンの肩書きはありましたが、ヨーロッパ選手権は3位で最強のゴールデンルーキーと呼べる存在ではありませんでした。WGP参戦1年目も年間9位と苦戦しています。

WGPに参戦して世界の壁を見たロッシは、当時WGP125ccクラスでチャンピオン争いをしていた、坂田和人、上田昇、青木治親の3人の日本人ライダーへアドバイスを求め、それに応える形でロッシは日本人から多くのことを学び、参戦2年目から飛躍することになりました。

また、ロッシは日本人GPライダー「阿部典史(あべのりふみ)」の大ファンだったことでも有名です。ニックネームが好きだったロッシは、自分のことを「ロッシフミ(ロッシ+のりふみ)」というニックネームをつけたり、阿部典史のニックネームだった「ノリック」をパロディーして、Valentinic(バレンティニック)と書いたロゴをマシンに貼ったこともありました。

2007年に阿部典史選手は交通事故で他界してしまいますが、その際にロッシは追悼の喪章をつけてレースに挑み、「ノリックは僕のアイドル。唯一サインを求めたライダーだ」とコメントしています。
ロッシの成功には日本人ライダーの影響も少なからずあったと言えます。

チームとファンから愛されるロッシの魅力

ロッシはユーモアあるキャラクターでメディアやファンへのサービスにも積極的です。ピークが過ぎているとはいえ、ロッシの年俸はGPライダーの中でも高額と言われていて、その要因のひとつはファンが多くてグッズがよく売れていることです。

また、ロッシはチーム員に対しても神対応することで有名で、自分からも積極的にスタッフへ声をかけています。ロッシはマシンの特性や問題点を見極めるのが得意で、ライダーとしての開発力も高いとされています。

実績を見てもアプリリアでテストライダー扱いで起用されてから、WGP125cc、250ccクラス優勝に導きますし、2004年にヤマハへ移籍した際も1年目でヤマハとしては1992年のウェイン・レイニー以来の年間チャンピオンを獲得しています。
2011年、2012年のドゥカティ・チームでは1勝もできませんでしたが、チームとしてはロッシが去った後に大きな成長を遂げています。

2014年〜2016年にかけては、3年連続の年間ランキング2位を獲得していますし、未だ世界とトップライダーと呼べる実績を収めています。今後はどうしても年齢的な衰えが出てくるかもしれないですが、年齢を考慮してもロッシをチームライダーに招きたいと思っているチームは多いです。

2018年シーズンはヤマハとの契約が決まっていますが、その先もどこかしらのチームからのオファーはあり、本人の意欲さえあれば現役を続けていくと予想しています。

WGP・MOTO-GPでの年間成績

シーズン クラス チーム マシン 優勝回数 ランキング
1996年 WGP125cc スクーデリア AGV アプリリア アプリリア・RS125R 1回 9位
1997年 WGP125cc ナストロ・アズーロ アプリリア アプリリア・RS125R 11回 1位
1998年 WGP250cc ナストロ・アズーロ アプリリア アプリリア・RS250 5回 2位
1999年 WGP250cc ナストロ・アズーロ アプリリア アプリリア・RS250 9回 1位
2000年 WGP500cc ナストロ・アズーロ ホンダ ホンダ・NSR500 2回 2位
2001年 WGP500cc ナストロ・アズーロ ホンダ ホンダ・NSR500 11回 1位
2002年 MOTO-GP レプソル・ホンダ・チーム ホンダ・RC211V 11回 1位
2003年 MOTO-GP レプソル・ホンダ ホンダ・RC211V 9回 1位
2004年 MOTO-GP ゴロワーズ・フォルトゥナ・ヤマハ ヤマハ・YZR-M1 9回 1位
2005年 MOTO-GP ゴロワーズ・ヤマハ・チーム ヤマハ・YZR-M1 11回 1位
2006年 MOTO-GP キャメル・ヤマハ・チーム ヤマハ・YZR-M1 5回 2位
2007年 MOTO-GP フィアット・ヤマハ・チーム ヤマハ・YZR-M1 4回 3位
2008年 MOTO-GP フィアット・ヤマハ・チーム ヤマハ・YZR-M1 9回 1位
2009年 MOTO-GP フィアット・ヤマハ・チーム ヤマハ・YZR-M1 6回 1位
2010年 MOTO-GP フィアット・ヤマハ・チーム ヤマハ・YZR-M1 2回 3位
2011年 MOTO-GP ドゥカティ・チーム ドゥカティ・デスモセディチ GP11 0回 7位
2012年 MOTO-GP ドゥカティ・チーム ドゥカティ・デスモセディチ GP12 0回 6位
2013年 MOTO-GP ヤマハ・ファクトリー・レーシング ヤマハ・YZR-M1 1回 4位
2014年 MOTO-GP モビスター・ヤマハ MotoGP ヤマハ・YZR-M1 2回 2位
2015年 MOTO-GP モビスター・ヤマハ MotoGP ヤマハ・YZR-M1 4回 2位
2016年 MOTO-GP モビスター・ヤマハ MotoGP ヤマハ・YZR-M1 2回 2位
2017年 MOTO-GP モビスター・ヤマハ MotoGP ヤマハ・YZR-M1 1回 5位

おわりに

ロッシは名実ともに世界最強ライダーだと呼べる存在です。キャラクターや人柄にも魅力が多く、歴代の伝説的ライダーの中でもファンが多くアンチが少ないです。F-1からのオファーや5年連続で世界最高峰クラスでの年間チャンピオンなど、この先も永遠に伝説を語り継がれることになるでしょう。

2017年シーズンはマシンの不調もあり、成績が下降しました。年間ランキング5位の戦歴よりも、チームメイトのマーベリック・ビニャーレスに差をつけられて負けた点に不安を感じました。それでもシーズン後半には調子を上げてチームメイトが苦戦する中で、17戦・最終戦で連続表彰台を獲得したのはロッシのすごいところです。

2018年シーズンにロッシがどれだけ復活できるかとても楽しみです。是非、年齢の衰えを感じさせない走りを見せて、これまでの常識を覆す新たな伝説を作ってもらいたいです。

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